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about
Hospital Theatre Project

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ホスピタルシアタープロジェクトの歩みと思い

1998年に立ち上げ、2000年にNPO法人化し、自転車操業ながらも、シアタープランニングネットワークは走り続けてきました。当初、俳優トレーニングとともに、英国のドラマ&シアター教育を紹介し、指導者を育成する事業にかなりのエネルギーをつぎ込みました。長く続けるなかで関心も高まり、それなりの担い手も増え、広がりを見せるようになりました。

しかし、次第に気づき始めたのは、教育のコンテキストで演劇の道具化を進める中で、鑑賞そのものが大切にされない風潮が生まれていることでした。演劇という体験のメディアによって教育的目的が達成できれば、何も「鑑賞」は必要はない、という考え方です。見たことななければ、実は想像することもできないにもかかわらず…。また、耳に飛び込んできたのは、芸術性を鑑みる必要性はない、という言葉でした。

さらに、成果を求める時代だからでしょうか、教師やアーティストの中には、できる子をさらにできる子に育てる、英才教育の視点への傾倒が進み、社会経済的弱者と寄り添い、支えていく英国のドラマ&シアター教育のエッセンスが抜け落ちていくのを目撃するようになりました。

自分のなかでドラマ&シアター教育への思いが少しばかり揺らぎ始めたころ、病気や障がいのために劇場で鑑賞できない子どもたちのための演劇を届ける事業に着手しました。2010年のことです。健常児の鑑賞機会が減少傾向にある現実は、しばしば児童演劇の業界の中で議論されてきましたが、病気や障がいをもつ子どもたちへの視野は、文化政策においても、業界においても、抜け落ちたまま、と感じていたからです。そのような活動は思いをもつ限られたアーティストやクラウンによってのみ担われるものであり、そこに「演劇」は殆ど存在していなかったのです。

ドラマ&シアター教育に携わっていたことから、ワークショップリーダーの資質を持つアーティストらと議論し、試行錯誤を繰り返しながら作品を創造し、大きな病院から小さな放課後等デイサービスまで、多くの子どもたち、そして大人の障がい者たちに出会いました。真摯なまなざしと笑顔に出会いながらも、観客席でじっと大人しく鑑賞しなければならないという暗黙のルール、継続性を許してくれない助成制度への不満、同時に、芸術的にも何かが足りない、何かが違うという違和感が募るばかりでした。障がい児に見せるためには、わかりやすい物語でなければならない、楽しくするためには(アップリフティングするためには)即自的な笑いが必要…日本の現代演劇の縮図にも見えますが、プロデューサーとしての私が希求していたのは、そこからは程遠い、演劇が生みだす詩的な、美しい体験だったのです。でも、それをカンパニーの中でもわかちあえない。私自身の説明が不十分だったのかもしれませんが、見たことも体験したこともないものはアーティストらですら想像することができなかったようです。

そんな折に、2012年に出版された劇団オイリーカートの30周年史と出会いました。そこに私の求めていたものがたしかに存在することを知りました。そして、2014年10月末、南ロンドンの小学校の一角にあるオイリーカートの事務所(稽古場、作業場)を訪れました。創立者で当時の芸術監督ティム・ウェブとの出会いでもありました。実りある議論で幸せをかみしめました。

2016年度、日本財団のご支援を得て、芸術監督ティム・ウェブと美術家クレア・ド・ルーン(アマンダ・ウェブ)を招へいし、東京と仙台でセミナーとワークショップを実施しました。東京では多くの参加者に恵まれ―なかには遠い地域からも、この領域に関心を持つ人々が決して少なくないことも学びました。オイリーカードメソッド

劇団オイリーカートからの学びをきっかけに、2017年3月、無謀だとは思いつつも、施設や病院等を無償で巡回する形態から、一般公演の形での上演に踏み切りました。というのは、施設等での上演の場合、その子どもが施設で体験したものを親がわかちあっていないということに気づかされていたからです。しかし、観客が存在するのか? お金を払ってくれるのか? 外出は可能なのか? 様々な不安と闘いながら、準備を勧め、実施していて驚いたのは、会場にやってきたのは想定以上に重い障がいをもった子どもたちと家族でした。また、多くの医療的ケア児がなかば命がけでやってきたのです。身も心も引き締まる思いでした。以来、毎年、新作を創造し、少しずつ上演会場を増やしながらツアーを展開しています。しかし、いまになっても、しばしば出会うのは、「うちの子と一緒に観劇できるとは考えてもいなかった」という言葉です。 過去の公演

2019年度、再びティム・ウェブとクレア・ド・ルーンを招へいし、トレーニングのための東京でのセミナーとワークショップを実施しました。このプログラムは、2016年に制定された「障害者差別禁止法」と、2018年に制定された「障害者文化芸術推進法」がもたらした「障害者等による文化芸術活動推進事業」の初年度の事業として採択され、文化庁の委託事業(私どもとの共同主催)の形で実施されました。2020東京オリンピック/パラリンピックに向けて、整備の遅れていた障がい者にとっての芸術活動へ向けて、一気に動き出したのです。

ただ身体障がいへのバリアフリー化・対応、障がい者自身の活動は進むものの、知的障がい児・者、重度重複障がいの方々への取組はほとんど見られないように思われました。声をあげられないからなのかもしれませんが、鑑賞すら容易ではない子どもたちは忘れられたままでいいのか?

翌2020年度、ホスピタルシアタープロジェクト本体が、委託事業として採択され、さあ、という矢先に、世界中を席巻した新型コロナウィルスの猛攻がはじまりました。学校がお休みになり、遊ぶ場が奪われ家に閉じ込められた子どもたちと家族のことを思い、なんとしてでも公演を実施することを模索し、継続支援事業として10月、若いメンバーを募ってトライアル公演、そして、11月~12月にかけて、できうる限りの感染症対策を施して、『森からの贈りもの』を創造し、4か所、7日間のツアーを実施しました。

私どもにとって幸いだったのは、一つとして、その前年に、国立精神神経研究センター病院での公演で、マスク着用での上演を経験していたことです。また、もとより観客数が限定された障がい児とその家族のための公演という性質が、どこよりも「安全な場所」と受けとめられたことが観客数を大きく減らすことなく終えられた大きな理由だと思われました。

引き続く2021年度は、通常の秋冬の公演時期をコロナ対策のために前倒しして実施を準備していましたが、コロナの巻き戻しによる緊急事態宣言の延長をうけて、8月、9月中の公演を延期し、10月~12月にスケジュールを変更し、上演いたしました。時に、カンパニー内に感染者をだし、代役を立てながらも、予定した全公演10日間を無事に終了できたことは幸いでした。

2022年度ならびに2023年度は、コロナ禍が続く環境にありながら、一気に活動の幅を広げ、沖縄県那覇市で開催の「国際児童青少年演劇フェスティバルおきなわ」に協賛して、フェスティバル開催時期にあわせて私どもの公演を実施いたしました。日本を代表する児童青少年演劇の国際フェスティバルです。また、川崎市と川崎市文化財団からは多大なインカインド(人的支援)のご支援を賜りました。また、2023年度には兵庫県豊岡市の芸術文化観光専門職大学での公演も行いました。全国から集った優秀な学生たちからの問いかけやオブザベーションは貴重な宝物です。

また、2022 年夏、ティム・ウェブが上梓した『Sensory Theatre』では、日本のパイオニア的存在として、ホスピタルシアタープロジェクトが紹介されています。

活動が順調に展開するなかで、様々な要望が寄せられるようになりました。子どもの通う特別支援学校で公演してもらえないだろうか、施設でも上演してほしい、というのが大半ですが、一方で、海外からの問い合わせも増加しています。ただ少人数制を矜持とする公演形態のため、公平性を重んじるために全員で参加を望まれる大人数の特別支援学校等での上演は、現状では、なかば不可能な状況にあります。

コロナ禍以前から、そして今も、私の中に去来するのは、障がいをもつ子どもの「社会性」ということです。障がい児教育の専門家ではない私の不勉強ゆえなのかもしれませんが、文献を探しても見つけられないままです。私がプロジェクトを通して、目の当たりにしてきたのは、観客間のなかで生じる子どもたちのインターラクションであり、友だちという存在の重要性です。

幼い健常児が自然と隣で鑑賞する障がい児をサポートしていたり、障がいのあるなしを問わず、遊びをわかちあう姿には心が癒されます。一人のパフォーマーに恋してしまった男の子もいました。また、一人の女の子(姫)をめぐって二人の騎士がバギーのもとへ争うように向い、二人が姫をのぞき込むと、その瞬間、姫の頬が真っ赤に…。コロナのために長く会えなかった同級生の二人が、終演後、車椅子を寄せ合い、お互いを感じあう姿-言葉を交わすことのできない二人ですが、帰る時間になって、一人が泣き出してしまいました。さらには、離れ離れで暮らす家族が一緒に鑑賞したときに生じた子どもの変化……私たちが提供してきたのは、単なる娯楽の提供でも、鑑賞機会でもないと気づかされるのです。家族4世代で揃って鑑賞されたご家族からは「家族の記憶」を残したいという言葉を頂戴しました。公演一回当たり6組程度のご家族をお迎えしているからこそ可能になるコミュニケーションなのです。

「すべての子どもたちと家族のための多感覚演劇」と謳いながら活動を続けながらも、またパフォーマンスの中に多くの多感覚の遊びを折り込みながらも、私どもの公演ではアニメや童謡といった子どものための音楽を使用せず、あえてバイオリンとピアノによるクラシック、新曲、即興を用いてきました。子どもの音楽を入れて欲しいという声もときに耳にすることがありますが(思いのほか少数ですが)、美しい音楽をご家族で享受いただきたいという思いがあるからです。また、近年、ダンス作品としての要素も強化してきました。

実は、ここには、文化政策やアートマネジメント、演劇学の学徒として、実践者として個人的な二つの思いと信念がいり混じり存在しています。

「優れた子どものための演劇は家族全員で享受できる」であり、さらに、

「家族それぞれがそれぞれに楽しめるインタージェネレーショナルな(世代をこえた)イマーシブシアター(体感型演劇)」であり、障がいをもつ子どもに主眼をおきながらも、きょうだい児を巻き込みながらも、子どものためだけのものではないということです―子どもという存在は驚くべきほど背伸びができるので、大人の視点から低く見てはならないと思うのです。

日本にはそもそも家族全員で演劇を楽しむという習慣がなく、またそのための演劇がほとんど存在していません。卵と鶏の議論に陥ってしまうのですが、これを変えていくためには誰かがはじめなくてはならない。


2024年3月29日、コロナ禍と闘いながらも、試行錯誤ながらも、それなりに順調に成長してきたホスピタルシアタープロジェクトに試練がもたらされました。文化庁の委託事業として採択していただけなかったのです。私自身、かつて6年にわたり公的助成の仕事を担っていたことがあり、助成というものの性質、安定性の危うさは痛いほど理解しています。審査委員の構成によっても判断は大きく変わります。しかし、気になるのは、文化庁の職員も事務局も、審査に当たる委員たちもこの4年のあいだ、一度も私どもの公演に足を運ぶことはなかったという事実です。つまり公演内容も、私どもの公演に集う観客を観ずして、書類だけで重要な価値判断が行われ、結果として、大きな規模の団体の採択が優先される結果となりました―ちなみに、大きな団体を優先することにも筋道はあります。

2024年4月、今年度のカンパニーメンバーとともに、クラウドファンディングや他の助成への申請を含む資金調達を実施することで、今年度の公演へ向かっていくという意思を確認しました。助成が不安定なものであったとしても、子どもたちにとって継続的な体験が―とりわけ、障がいをもつ子どもたちにとって―重要であるということをこれまでの経験から強く認識しているからです。一年に一度の出会いですが、重い障がいをもつ子どもたちが私たちの顔を覚えていて喜んでくれるとき、それは同時に、一緒にいらっしゃるお母さまやお父さまがリラックスしていらしてくれるからでもあるのですが、また一人ひとりの鑑賞行動に成長を見いだすとき、私たちがどうしていかなければならないのかを思うのです。

強い思いを胸に、新しい作品『森の空き地Clearing in Woods』をもって、ホスピタルシアタープロジェクト2024がスタートします。

本年度もご支援・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

中山 夏織

プロデューサー

​特定非営利活動法人シアタープランニングネットワーク代表理事

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初めてのもの、たくさんの人、いつもと違うことが苦手なので、まさか手を伸ばして触ったりできるとは思いませんでした。

全身全霊で喜びを表現していました。

 

毎年楽しみにしています。たくさんの人と関わることができて、とてもやさしい素敵な時間です。

前回のお名前ソングをずっと覚えていて、今日も楽しみにしていました。子どもがストレスなく過ごせることはとても素晴らしいと思います。

 

 

好きなものがはっきりとわかりました。温かさを感じ、とても心地よい空間でした。もっと広がっていくといいと思います。

 

色んな音や触感、においを感じて味わっているようでした。最初は脈が高かったので、初めての場所にドキドキしていたようですが、ボウルの音を聞いてから、スーッと脈が下がっていたので、好きな、落ち着く音なのかな?

誰もが思い思いに楽しめる公演でした。決まった台詞はなく、演者さんたちもそれぞれ振り付けがちがっていたため、自由に動く子どもたちまでもが演者のように見えました。自分は高校生ですが、後ろから見ているだけでもすごく楽しかったです。

空間がステキ。絵本の中にいる気分で癒されました。生演奏とってもステキでした。子どもが自分のペースで楽しんでいる姿に喜びを感じました。ビルの中にいる大人に自然を感じさせてくれてありがとう。恥ずかしがり屋の子もちゃんとそこにいて、自分をあらわす心がステキです。

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